Column

[0年0月]
世界の常識、日本の非常識
2014年05月19日

企業による社会貢献(フィランソロピー)は、欧米の企業経営者の間では新しい常識として受け止められています。とりわけ、アメリカでの普及・発展は著しく、規模の大小を問わず、既に多くの企業がその理念に共鳴し、活動に参画しています。

ところで、アメリカでは全人口中2人に1人がなんらかの社会貢献活動に従事していると言われます。一方、日本の社会貢献人口は100人中1人にも満たないそうです。

 

この差はいったいどこからくるのでしょうか?
今回は、日本人の社会貢献意識について考えてみたいと思います。

 

企業による社会貢献(フィランソロピー)という考え方は、もともとキリスト教の博愛精神に端を発したものです。そのため、欧米でフィランソロピーが盛んなのは当たり前にも感じますが、だからといって日本人の社会貢献に対する意識の薄さを弁解することはできません。

とはいえ、日本でもかつては企業による慈善事業により、多くの成果が生み出された時代がありました。たとえば、財閥による公益分野への寄付、美術館・図書館の設立などです。この時代の政府は、いわゆる「小さな政府」の立場をとっており、財閥をはじめとする民間団体に行政機能の一部をゆだねていたのです。しかし、戦後まもなく財閥が解体されるとともに、国が「大きな政府」の立場に転じたことから、民間の慈善事業は一気に衰退することになりました。こうして、日本は世界でも稀にみる「一大行政国家(いわば、おせっかい国家)」となり、勝手に公益事業を取り仕切るようになったのです。

このような歴史背景を鑑みると、国民自らが世の中を良くするという意識が薄れてしまうのも無理ありません。しかし、行政が弱体化している現在、企業、財団、社団、NPOを筆頭とする民間団体が立ち上がる意義は大いにあると思われます。日本人の社会貢献意識を蘇生するには、これしかありません。